[はてな] 格ゲーに関する昔話

※この記事ははてなダイアリーから移転したものです。リンク切れなどは(気が向けば)修正するかも。
どういった経緯でかは忘れたけど、トモダチと話してたときにSNK の「龍虎の拳」 には続編? にあたる「風雲黙示録」 てのが1995年にリリースされたけどとてもデキが悪くて黙殺された、てな話題になって、当時リリースされてたゲームを振り返ると1994年には「バーチャ2」、「スーパーストリートファイターII X」、「ヴァンパイア」 が、そして翌1995年には「ストリートファイターZERO」、「ヴァンパイア ハンター」 などが出ている状況下で生き残る余地はなかったね…という結論に。あと2-3年早く出していたらあるいは? いやないか。
SNK って結構色んなタイプの格ゲーを出しているのだけど、よくもまぁそれだけの開発力があったよなぁ、と感心するコトしきり。まぁ最終的には会社は解散し、権利の一切はSNKプレイモアという別の会社に全て譲渡されたわけだけど…。NEO-GEO は今考えてもいろんな意味で革新的なゲームハードでした。「凄いゲームを持ち帰ろう」 のキャッチコピーと白い仮面と黒いマントなゲーマントとかいうイメージキャラクターも強烈でしたし。なにより、後にも先にもレンタルビデオ屋でハードやソフト一式を丸ごとレンタルすることが出来た(多分)唯一のゲームハード、だったのが凄いなーと。本体自体は大きいものの薄く、実は重量は軽く、あとジョイスティック型コントローラもそんなには重くない。ROMカートリッジ満載なカセットが相当重くて、柴田亜美に「凶器になるワ」 とか言わしめたほどのみっしり感だったり。ソフトの価格も1本2万円以上が当たり前でしたが、当時、アーケードレベルのゲームをそのまま家庭で遊びたい場合はゲーム基板を買うしかなく、人気機種は基板だけで10万以上とかだったことを思えばまぁ格安だったかも…ね。
思えば1994年から1995年あたりからアーケードと家庭用の立場が逆転というか、ほぼ同じクオリティで移植が出来るだけの性能を家庭用ゲーム機が獲得し、またその技術がアーケード基板に逆輸入されたりとか色々エポックメイキングな時代だったのだなぁ、と10年以上たった正月の夜に何を語っていますか?>われわれ
しかしWikipedia は、会話しながら調べてみればたいていのことが書いてあって、大変ベンリ。まさに巨大なオンラインデータベース。