「窓の杜 – 【NEWS】数多くのオンラインソフトを公開した作者が著作権法違反ほう助の疑いで逮捕」 の話。
私的スタンスとしては「寒い時代とは思わんか」 というような感じ(これが言いたかっただけ…かも)。
ものすごくデキるプログラマーさんみたいなので、今後どうなるか、というのは興味あります。状況からして、いつかこういう日が来るとは思っていましたが、まさかいきなり作者を…というのは驚きです。なりふりかまわず、という風に見えます。このことで抑止効果は充分にあったと思いますが、ならもっと他にも…と簡単には言えない状況なのかも。
このこととは全く無関係に、ここ最近ずーっと考えていることがありまして、そのことで何かしら自分の中でヒットしたので、トラックバックは送らず、こっそりリンクだけ張りつつ、引用させてください。引用部分があまり長くならないようにと考えた結果、引用箇所だけではなにを受けての言葉か分からないと思うので、元記事もぜひ見てください。
「BTeX: 不正コピーがなくなったらCDや映画の売り上げが伸びるのか?(不正コピーのせいで売り上げが落ちたの?)」 より。
> 個人的にはそういう諸々が、世の中からなくなっていっても僕はもう別に困らない。
> ネットで友達と話して、友達の書いた文章を読んで、
> 友達や見知らぬ人の作った音楽を聴いて写真を観て。
なんでもかんでも「禁止禁止禁止ですぅー!!」(「フリクリ」のミヤジュン風に)とかやると、もう文化も何もかもなくなってしまうのかもしれない。そうなったらそうなったで、それはそれで自分の中の小さな幸せを見つけることが出来るかもしれないけど、まだ私にはそこまで言い切れないです。
大人になるにつれ、「親しい人と想いを共有するための道具」の数が減ってきていると日々感じていて、それはもう、時間を共有することが物理的に難しくなってきている以上、自明のことなのだけど。そこの部分を取り持っているのがそういった著作物と思っていたけど、「道具に頼らない想いの共有」とか、むしろ「自分自身が想いの共有のための道具」になる道とか、そういうことも考えていくべきなのかも、とか思ったりしてます。
触発されて思いつきで書いているので、考えもまとまってない状態ですが、ご容赦を。
コメント
今、ゲームでもなんでもなんだけど、創り手とユーザーの接点ってあまりなくなってきたように思えてならないんだよね。
それよりも、パソ通黎明期のような、X68k同人全盛期のような、創り手もユーザーも両方楽しむために、草の根ネットで活動して、それが広がっていく。
これが文化ってやつの基本なんじゃないかなぁと思うわけです。
ただ、そこに商売や生活が絡んでくるから、いろいろ不幸が起こったりする。しょうがないのはわかってるけど、寂しい話だと思う。
1996年あたりの、まだ微妙にインターネットが広まっていなかった(主な情報源は雑誌)頃のPlayStation とか、インターネットでダウンロード販売、なんて夢のまた夢の頃のTAKERU(覚えてるかな)とか、距離は近かったと思う。
今、ゲームを作るのも(そして遊ぶのも?)難しくなったけど、別のジャンルだとまだまだ距離は近いのでは、と。今度見に行く予定の、DoGA のCGA コンテストとか、あまり詳しくはないけど同人誌周りとか。あとインディーズバンドとかもそうなのかな?
いいものを作った個人を支援する意味合いで直接お金を渡せればいいのだろうけど、なかなか難しそう。
ちなみに僕もX68ユーザでした。
ある意味ではベースはそこなんです。
sundaynetとか、梁山泊とか北京とか。
そいえばsundayはひっそりとtelnetで復活。
そゆのも面白いです。
p.s.鯖をメンテしながらリファーを辿ってきました。
> kaneko さん
おおお、コメントを頂けるとは…。ありがとうございます!!
X68k ユーザとはいっても、当時「ベーマガ」と「Oh!X」 が唯一の情報源で、ダイアルアップで草の根ネットに繋ぐということはなかったので、あまり詳しくはないのですが、大学に入ってNetNews とか、JAIST のftp に入って色々貰ったりとかしてました。
今の自分のベースはやっぱりX68k にあると思います。
サンデーネット はX68030 がホストしてるんですねえ、凄い。X68030、欲しかったけど手が届かず。