※この記事ははてなダイアリーから移転したものです。リンク切れなどは(気が向けば)修正するかも。
SFC 前夜、まだ中学生くらいの時。既にファミコンでは飽き足りなくなった我々はPCエンジンやメガドライブに目移りしてた。あと親の目を盗んでゲームボーイとか。一応受験生でしたから、ええ。そういえば親の目を盗んでコツコツやってた「ドラクエ3」 は表世界が終わったあたりでセーブデータが飛んじゃったっけ…。
あの頃のゲームハードはせいぜい15,000円くらいで、確か25,000円だったSFC は高い!けど高性能、って評価だったと思う。今から比べると勿論性能は低いけど、安かった分、友達から安く譲ってもらうとかすれば入手しやすかった。なので、一時期メガドライブもPCエンジンも持ってたことがある。
どちらかというとメガドライブは中学生のときに主に遊んでいて、PCエンジンは高校になってCD-ROM^2 ユニットを手に入れてからさらによく遊んでたような。
いまだに覚えてるのはメガドライブのビデオ出力のにじみのすごさ。友達の家のそこそこ大きいTV で見せてもらった「ヴァーミリオン」 のメッセージがにじみすぎで読めなかったのは今でも覚えてる。ほんとに読めなかったんだってば!!
その友達は「BEEP!メガドライブ」 とか買ってるくらいのマニアで、「スペースハリアーII」、「スーパーハングオン」、「アレックスキッド」 とかやった記憶がある。あとPC-98UV(3.5インチFDD) とかも持ってて「イース」 や「ソーサリアン」、「アンジェラス」 とかもいっぱい遊ばせてもらった。あと何故かテーブル筐体も持ってて「魔界村」 が入ってた。筐体内のディスプレイの向きを自分で変えようとして感電し、死にかけた、とか言ってたね。
当時もう一人いた友達はPCエンジンのソフトをいっぱい持っていて、あとこの頃流行ったゴツいコンポセットと一緒に、あたかも同じセットですよー、という感じでX68000 を紛れ込ませていたり。それは親の目を欺くための迷彩で、キーボードさえ隠しておけばタダのTV という風に映るようになっていた(X68000 自体はおばあちゃんに買ってもらったとか<金持ちだな!!)。
思えばこの頃にもう基礎が作られていたんだなぁ、と思う。最初の友達はゲームミュージック好きでCD とかも持っててその影響受けたし、メガドライブとX68000 のおかげでFM音源の音色に魅せられたし、特にX68000 の「源平闘魔伝」 の音声合成に衝撃を受けた。あれは忘れられない。
そんなにお小遣いあったわけじゃないのに、毎月きちんと雑誌買って、移植希望のリスト眺めたり、発売予定リストに○をつけたり、読者投稿ページを隅から隅まで読んでみたり、あぁ幸せな記憶。
あんまセガと関係ない話ばっかりだ。個人的には「アローフラッシュ」 とか名作だったと思うのですがどうか。表紙絵は萌えキャラだし(そこかよ!)。あとMD 版「ソーサリアン」 はシナリオの数こそ10しかなくて拡張不可だったけど、ベーマガのムックを参考にして不老不死にしてみたりとかしてだいぶ遊んだなぁ。もちろん「スーパーモナコGP」 でゴールするときにフラッグ振ってる人を轢く(というか彼方に吹っ飛ばす) のはキホンですよ、ええ。
話はだいぶとんでセガサターン。PS とどっち買うか悩んで、なぜかは忘れたけどPS を買ったので、もしこのときサターン買ってたらまた違った人生を歩んでいたかも。だいぶ後になって「クリスマスナイツ」 同梱サターンが出たときに「E0」 やりたさに一緒に買ったけど、割とすぐに売っちゃった…。買った店に売りに行ったのでおっちゃんが同情して少し高く買い取ってくれたっけなぁ…。ある年のクリスマスの思い出。「ナイツ」 自体は友達のトコで1回クリアしただけだけど、サントラ持ってるくらい今でもスキ。稼動可能なサターン確保しておくべきか…?
ドリームキャストはMIL CD対応版のを持ってたり…あとは、分かるな? 一番遊んだのはたぶん「クレイジータクシー」。夜中にボウリングのピンを倒すのは凄いハイになれた。
あぁ幸せな記憶たち。